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賀露神社
賀露神社は港の小高い丘の上に位置しています。時の国司、領主の篤い信仰を集め、江戸時代には鳥取城主の池田家が参勤交代の折には必ず参拝しました。また舟遊びに立ち寄られた際の食事の献立表も残されています。丸に葉付桃紋、揚葉蝶(あげはちょう)紋、黒須紋の3つの紋が使われているのは珍しいものです。
桃はイザナギノミコトが魔を祓ったと言われ、揚葉蝶は鳥取藩池田公の家紋です。 境内には北前船の行き交う往時をしのばせる大イカリなども見られます。
創立は西暦690年代。岡山県真備町矢田町周辺の出身、吉備真備公(きびのまきびこう)を775年に祭神として奉り、現在の神主は第53代岡村吉明です。
| 3月第1日曜日 | 船玉祭 |
| 4月第4日曜日 | もみ火神事 |
| 4月29日 | 船御幸祭(隔年に御輿海上行列) |
| 8月6日 | 夏・夕宮祭 |
| 9月第1日曜日 | 秋祭・お釜の神事・少年相撲・ 赤ちゃん泣き相撲 |
賀露神社船御幸祭(ホーエンヤ祭り)
賀露神社では毎年4月29日にホーエンヤ祭りが行われます。
因幡地方特有の麒麟獅子(きりんじし)や子供御輿が町内を練り歩き、豊漁を感謝し漁船には大漁旗が翻ります。
2年に一度の大祭には鎧武者、娘踊りや海上行列など、町内こぞって賑わいます。特に賀露の麒麟獅子は勇壮で見ごたえがあります。
鳥ケ島に漂着された吉備公を船で奉曳(ほうえい)した故事から「ホーエンヤ祭り」となったと伝えられています。
もみ火神事
ホーエンヤ祭りの数日前には、二十歳前後の若者たちが海に飛び込んで身体を清めたあと、
檜の板にウツギの枝をもみ込む、たいへん珍しい方法で聖なる火をおこします。
この火は神前に供える餅を作ったり、御神灯の種火として使われます。以前は各戸に配られ、竈(かまど)の火として1年間絶やさぬように大切に扱われていました。
鳥ケ島
遣唐使の吉備真備公(きびのまきびこう)は745年、唐より帰国する際に九州沖で嵐に襲われ、賀露沖の宮島に漂着しました。
その30メートル離れた島に飛び上がって避難されたことから、その島は「飛び上がり島」と呼ばれ、後に賀露港のシンボルとして「鳥ケ島」となりました。現在は灯台があり、船舶の安全に寄与しています。
相撲塚(力士塚)
鎌倉から江戸時代にかけて因幡地方では相撲が盛んに行われていました。
鳥取市からは鎌倉十七士や横綱の両国梶之助など、多くの名力士を輩出しました。賀露神社の少年相撲や赤ちゃん泣き相撲にその名残があります。町内には17基の相撲塚があり、現在でも精進や相撲部屋の隆盛を願い関係者らが訪れます。
上小路神社
天照皇大神を祀る上小路神社は、創立は不明ですが南北朝の終わり頃と伝えられています。
主に農家の氏子600戸がおり、神明宮と呼ばれています。丘の上にあり見晴らしもよく、日本海から大砂丘、鳥取市街まで見渡せます。社の軒下には瑞雲(ずいうん)に宝珠(ほうじゅ)の木彫りがあります。
釧路開拓移民団の碑
明治17,18年、鳥取藩士は新天地を目指し、賀露港から北海道に渡りました。「鳥取村」と名付けられた居住地は後に釧路市と合併し、鳥取市と釧路市は昭和38年に姉妹都市提携を結び、その30周年の際にこの碑が建てられました。
明治4年の廃藩置県で窮地に立たされた武士たち105戸513人が賀露港を出発しました。慣れない鍬(くわ)を手に北の地を拓いて行くのは想像を絶する辛苦があったとのことです。
東善寺
賀露でもっとも檀家の多い浄土宗東善寺は、草創を500年以上さかのぼることができます。その100年後、大洪水の際に寺が流されますが、同時に上流からお堂が東の浜(現在の十六本松)に流れ着き、「東に善い寺が流れて来た」と言われたことから東善寺と名付けられました。
現在の本堂は昭和9年に竣工し、屋根の頂部には法然上人の生家である漆間家に由来する月影杏葉紋があります。境内には10基以上の相撲塚が見られます。

